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久々の更新・・・ [日常]

すっかり、更新を忘れていました・・・というより、So-netは遅い場合があったり、エラーがあったりで更新した内容が反映されないことが多かったので。

さて、久々の更新ですが、近所では家の建替えやらが多く、家の解体やらが色々な場所で見れます。空き地だった場所に家が建ったり、売り家になっていたり、やはり東京は不動産も動きが活発です。

それと、ケアハウスやらデイサービスなどが目につくようになりました。介護関係の施設や高齢者向けの住宅などが多くなっています。そういえば、成長産業は介護とか言われていますよね。

でも、どうなんでしょう?確かに、「サービス」という意味では、立派なサービスです。他のサービスと同じとは思うのですが、介護とかについては、お金の出所は???

それだけ、今の日本は新しい産業とかが出にくい状況が続いているのでしょうね。

健康という意味では、「1日8,000歩」を歩くというのが効果的だと言われています。中強度の運動を20分入れると効果的とも、「脳を鍛えるには、運動しかない」という本もあるように「運動」というのは健康にも頭にもいいので、健康的に長く生きるには更に運動しやすいような環境の整備ということのほうが効果的かも知れません。

道路事情とかもありますが、歩きやすい歩道の整備や大きな公園でのイベントなど・・・お金もかからないし健康が手に入るという意味では散歩というのは一番のツールだと思います。

メタボな人は、「1日一万歩」歩かないとダメらしいです。

大体、7kmくらいの距離で時間としては、1時間30分くらい。往復として考えると3.5kmの距離なので、以外に遠いですね。 



 



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韓国ドラマで・・・ [日常]

最近は、韓国ドラマをまた見始めてみた。ドラマで「大王世宗」をやっていたから。
名前は知っていて、韓国のイージス艦の名前にもなっているので、有名な人というのは知っていた。
でも、どんな人なのかは知らなかった。そこで、勉強のためという意味でドラマを見てみた。

韓国では、歴史上一番偉大な王様ということらしいのだけど、ドラマをみても結構大変な状況だった。
とにかく、内部のごちゃごちゃ感が凄い。王様に対して、役人が座り込みで直訴というのが何回もある。
部下である役人が王様を交代させようと計ったりするのも何回もあった。

そもそも、世宗も元々王位継承権のない三男なのだけど、長男に問題があったということで変わって王となっている。
そんな感じで、内部でのいざこざが凄い。これは、その後も続いて王族の間での争いなどで兄弟間での殺し合いなんて普通。
とにかく、権力闘争が凄まじい。

これについては、どこの国でも起こることなんだけど、ちょっと頻繁に起きすぎる感じがする。
しかし、朝鮮王朝は1392年から1910年まで続く長期王朝なのが不思議。

ドラマという意味で考えて、史実とは異なる部分があるという前提でも酷い状況だったのは理解できる。
さて、この中で違和感を覚えたのは兵士などが持っている刀だ。それが、いかにも日本刀なのだけど、装飾は韓国風。
どうやら、韓国では日本刀の起源は韓国ということを言い出しているらしいのだが、それが反映して最近のドラマではそうなっているのか?

ドラマを見ても、当時の朝鮮王朝は明から王として任命してもらって初めて国内でも王様として認識されるような場面が多い。
それに、世宗が朝鮮独自の文字ハングルを作る作業においては、独自の文字を持つ野蛮な国になると多くの役人が断固反対していた。
明の文化が最高であって明の皇帝の配下の王という認識が強い。明が最高だから、その兄弟国の朝鮮も偉大という思想だ。
そのような状況で、色々な文化を明から輸入している国が突然独自の反りのある刀が登場するのは違和感がある。

中国は昔から両刃の直刀だ。半月刀などもあるけど、基本的に刀の重さで叩き切るような刀だ。
仮に、朝鮮独自に開発した優れた武器だとしたら、今でも刀鍛冶などが沢山残っていなければ辻褄があわない。

対して、日本の場合は昔から刀鍛冶だった所が、刀を作らなくなって同じ技術で包丁やナイフなどを作っている所は沢山ある。
そもそも、日本刀の場合は鉄鉱石が少ないので砂鉄から作っている。たたら製鉄という作りかたで、島根県の安来というところでは同じ製法で現在でも作られる。
たたら製鉄で出来た玉鋼が日本刀の原料になる。

素材となる物と加工する人や技術。それらが日本には、しっかり伝承され残っている。日本刀の構造も、切れ味の良い硬い素材を折れにくい比較的柔らかい素材で覆うことで、切れて折れにくい刀になる。
その囲み方にも色々な方法がある。

日本刀に少しでも知識を持っていれば、すぐに韓国ドラマについて疑問を持てるだろうけど、知らないとわからない。
ドラマだけ見て、日本刀は韓国が起源なんて言われれば、信じてしまう。

さらにもっと掘り下げてみると、日本刀というのは戦い方も変わってくる。
切れ味はいいのだけど、耐久性という意味ではそれほどでもない。刀同士が当たるとすぐに刃こぼれをして切れなくなる。
基本的には、体の動きで刀を受けずに斬る方法しかない。剣道の形でも、基本は捌くことが基本。

戦国時代の戦い方も大事な頭と胴体は、兜と胸当てで防御できるので防御をせずに相手の鎧の隙間を狙う攻撃が主体で、その後に竹刀を使うようになってから今の剣道のようになったと言われている。
と言っても、刀も鉄の塊なので鎧があっても痛すぎるだろうし、甲冑姿で捌くのは難しい。そこで、防御は甲冑に任せて隙間を狙う攻撃が主体になったとか。

そもそも言ってしまうと、戦国時代の攻撃の主体は弓矢や槍であって、刀は主武器でもないのだけど・・・
「海道一の弓取り」「賤ヶ岳の七本槍」というように、武勇を示すのは「弓」や「槍」だ。
一番槍というけど、一番刀とは言わない。戦場で規定もないのに短い刀よりは長い槍が有利なのは当たり前。

韓国ドラマでは、なぜか刀同士でしか戦わない。これも、不思議・・・しかも、刀をもった相手に回りながら刀を振り回し、後ろ回し蹴りなんて飛び出す。
真剣を持った相手に、後ろ回しなどの蹴りを出すのがどれほど恐ろしいことか・・・まあ、それはドラマだからいいんだけど。

刀を振り回して、刀を刀で受ける戦い方なので、その方法だと頑丈な直刀で重さのあるほうが有利。戦い方で直刀を使っていたことを証明しているようなものなんだけど。
歴史ドラマとして正確に作ろうとすれば、その辺も含めて正確に作ったほうがいいと思う。

当時の武器と戦法で、どう戦ったのか?そちらのほうが興味がある。朝鮮王朝時代の刀は短いという話もあるので、実際には槍を多用していたのではないだろうか?
中国ドラマの「三国志」では、重そうな両刃の直刀を使っていたし、槍などもその当時に使われていたであろう形だった。
色彩も、落ち着いた感じで、見ていて違和感を感じなかった。武将同士の一騎打ちで馬の上でいかにもワイヤーアクションで回転するのは唖然とするけど。

そういえば、数年前の大河ドラマはリアルにやりすぎて「画面が汚い」とか言われていた。リアルに再現しても何か言われるし、見栄え良くするとリアルじゃないとか言われる。
言葉についても、批判されたりする。結局、加減が重要なんだろうな。

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時間稼ぎしかできないのか? [日常]

国会では、野党が時間稼ぎの作戦を行っている。でも、時間稼ぎなんだよね・・・
今回も、国会のやり方というのは与党も野党もどちらもスマートじゃない。でも、それこそが実際の政治というものなんだろうと。

法案については、海外での武力行使が可能になるのだけど、どこかの国と戦争するという法案でもない。
それに、自衛隊にそんな能力はない。そう、ないのです。

有名な話として、輸送機のC-1は航続距離が短い。岐阜から北海道、九州くらいしか行けない。離島までは、燃料タンクを増やさないといけない。これは、長い航続距離をもった機体を開発すると批判されるかも?ということらしい。
しかし、イラクでクウェートからイラクへの輸送を行った際には、航続距離が足らないので、C-130という輸送機をアメリカから購入している。
C-130は、航続距離は4,000km。C-130は、ターボプロップエンジンを4つ搭載。これは、ターボエンジンでプロペラを回すもの。
要は、プロペラ機。これを、後から購入してイラクでの任務に使った。

そんな感じで、自衛隊の装備というのは基本的に他国へ侵略するためには出来ていない。憲法が変わって、軍隊になって他国への戦争が可能になったとしても、すぐに出来るものではない。
装備を変更して、教育をして訓練をする。そんなに簡単にはいかない。

訓練しても、自衛隊は実戦経験がない。客観的に見て、その自衛隊が簡単に他国へ戦争できるようになっているのか?
それでも、必ず行動を制限できる法案を作らないといけない。あのアメリカですら、議会の反対で戦争を終わらせたり、部隊を戻したりしている。
同じように、日本でも現場判断で動けるようにしても、最終的な承認が降りない場合は、部隊の撤退などを行うことを定義するなどやることはあるだろう。

平和って言っても、戦争しませんって宣言すれば済む問題ではない。

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国会での混乱 [日常]

安保法案で強行採決され、国会前でもデモがあったりと騒がしい。でも、民主党なんて強行採決ばっかりだったように思うのだけど・・・
まあ、民主党については永遠に信用されることはないだろうから、どうでもいいけど。

戦争反対とか、戦争できる国とかになっているけど、本当にそうなのか?と思ってしまう。
確かに集団的自衛権によって、自分が関係ない戦争に巻き込まれる可能性はあるけども、逆に守られる場合もあるわけで。
守ってもらうけど、こっちは何もしないじゃ通用しないだろうし。
そもそも、そんな簡単に戦争できるか?と。法律が変われば、自衛隊はすぐにでも戦争をする危険な組織なんだろうか?

報道も戦争に結びつけているけども、他の国はどうだろう?集団的自衛権もある国が戦争ばっかりしているだろうか?ウクライナを見てもわかるように、軍事的な力もないと他国に蹂躙され割譲される。
それが本当の国際政治だろう。

確かに、武力も軍事力もなく平和に過ごせればいい。誰でもそう思う。しかし、そうは行かないのは歴史が証明している。
ただ、軍事力を背景とした影響力の行使ってのは許されない。

日本の近隣には、軍事力を背景とした影響力を行使しようとしている国があるわけだから、それに伴って変化するのは仕方ないことだと思うのだけど。
反対している政党を見れば、「そういうことなのか・・・」と思ってしまうのだけど。

彼らの友好的な国が困るからなんだろうな。全く、どこの国の国会議員なんだろうな。

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今年は、観艦式の年 [日常]

3年ごとに開催される海上自衛隊のイベントの観艦式が開催される。一般の応募でも、体験搭乗が出来るので応募してみた・・・

でも、当たらないだろうな・・・

22DDHの「いずも」も就航しているので、体験搭乗が出来なくても、横浜で展示されれば乗れるかも?

ちょっと、期待したい。 

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戦後70年か・・・ [日常]

今年で、戦後70年ということで色々と話題になっている。しかし、思うのはいまだに「お詫び」という言葉や謝罪とかの話が出てくる。正直言って、いつまで言っているのだろう・・・と。忘れてはいけないことだし、何もなかった事には出来ないのは当たり前。沢山の人が亡くなったり、大切な人を失った人が多くいて悲しい出来事なのは理解しているし、戦争は悲しいことなのは歴史が証明している。

しかし、アメリカは定期的に戦争をしている国。そこから、反省とか言われてもね・・・結局、「勝てば官軍」としか思えない。負けた国は、いつまでも敗戦国。そういう扱いになってしまうのかと。そうなると、立場を変えるには戦争で勝つしかないとなってしまう。戦争もダメだけど、東芝の件などを見ても、日本は変わっていないと感じてしまう。

「失敗の本質」という本でも、日本の組織的な問題などを指摘していたけど、なんか同じ感じがしますね。現場を無視して、軍令部で決めた体面だけの作戦を強行。情報は無視して、作戦重視で作戦遂行に有利な情報しか信じない。

なんか、そんな事件もありましたね。想定した捜査のストーリーに沿って、自白を強要したりね・・・

情報、補給の軽視、責任の不在などなど・・・結局、変わらないのねと感じてしまう。原爆の話も、ポツダム宣言の受諾意思をもう少し早くしていれば、落とされない可能性もあったとか・・・そんな事を考えると、原爆の悲惨さを伝えると同時に、前後の状況とかも伝えていかないと、結局同じことの繰り返しになるのではないだろうか?

戦後70年という年なだけに、戦争というものについても改めて考える必要があると思う。先の大戦の反省点も含めて。なぜ、戦争をすることになったのか?回避する方法はなかったのか?他の方法はないのか? 

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東芝の会計処理問題 [日常]

大手総合電機メーカーの東芝。会計処理において、問題になっています。それ以外にも、色々と問題があったようで・・・

会計処理においては、来期の利益を今期に持ってきたり、今期の損益を来期に計上するようにして、利益目標の操作を長年行っていたと。

さらに、「チャレンジ」と称して高い目標を課したり・・・

高い目標を設定することには問題ではないだろうけど、きっと拡大が見込めない状態の事業などで高い目標を設定され、達成しないと「どうして目標を達成できないのか?!」って怒られるんだろうね。

まあ、見たことのある光景・・・それに、利益の操作なんてのも見た光景。来期に手配する予定の案件を先行手配をかけて、期が変わると手配の取り消しを行う。

そうやって、期末に数字が行くようにしているのを見ていたな~・・・数字は営業が作るなんて言っていたけど、結局数字の操作だけ。

事業についての戦略とかないし、何も考えていなかった。それで威張るのだけは天下一品。そんなのが多かった。

東芝のパソコン部門は、3日間で120億円の営業利益を出せって言われたとか。普通に考えれば無理な話。

3日間でそんな数字を作れるなら苦労しない。数字に対しても根拠がない。結局、目標とされた数字から現状の数字を引いた数字が出ただけ。その市場の状況や、新規事業の可能性なども考慮されていない。

結局、数字の遊びをやっているだけ。

東芝のパソコンは、誰も知っているダイナブックで有名だけど、パソコン自体が売れない状態。スマホ、タブレットが好調でパソコンはダメ。

テレビも「レグザ」が一時期評判になったけど、全体的に厳しい状況でシャープさえも誰もが知っている状況。

そんな中で、数字だけ上げろって言われて何ができるんでしょうね・・・

それを考えるのが社員と言われればそれまでなんだろうけど、数字だけ言ってプレッシャーかけるだけで高給をもらい社用車で通勤する価値はあるのだろうか?

 日本の大手企業なんてどこも似たようなもの。その中で、成長している企業というのは、ちゃんと経営陣が考えて動いている。

 規模は全然違うけど、ダイソンやiRobotは掃除機で好調。明確に他のものとは違うものを作っている。日本のメーカーのものは横並び。日本企業が、低成長なのは色々な問題を内包している証拠なんだけどな・・・

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B級映画も必要だね [日常]

一般的にB級映画と呼ばれる映画がありますが、見てみるとたしかにB級な感じが溢れ出ています。なんか登場人物が変だったり、出てくる敵やモンスターなどがいかにも作り物・・・という感じの作品。

まあ、内容もどっかで見たような・・・感じの話になっています。それでも、ボーッと見るぶんには問題ない。毎回内容の濃い映画をみて、一生懸命ストーリーを把握してなんて考えると、B級映画だとボーっとしていても大丈夫。

とんでもない方向に行って、最後にあっという間に解決というのもB級映画ならでは。最初からそれやっとけよ!という突っ込みを入れたくなるようなエンディングであったり。

まあ、それでも作る側として想像してみると、ロケして撮影して編集して・・・なんて考えると、そこそこのお金がかかっているわけで。アメリカなんてB級映画の宝庫みたいですから、その中で優秀な作品も出てくるんでしょうね。

そう考えると、B級映画の価値もあるのかな。やはり、沢山の作品があってこそ、その中で優秀なものも出てくる。まずは、絶対的な量というのが必要ではないかと。

日本の映画という意味では、もう少しB級というくらいのものがあってもいいのかも知れない。毎回全力投球ではなく、ちょっと作ってみました~程度の。

難しいでしょうけどね・・・

 

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新植民地・・・ [日常]

ある番組を見ていたら正直驚いた。アフリカのマダガスカルが治安が悪化したのは知っていたのだけど、ある国が関わっていたと。マダガスカルと言えば、沢山の変わった動物を見ることでも有名なところで、比較的治安がいいというのも知っていた。

しかし、数年前の政変で治安が悪化して、観光に行くような場所ではないと言われていた。そこが最近は、政権も安定して治安も良くなったらしいのだけど、そもそもの原因が前の政権がある国に耕作地の半分を無償で99年貸すという契約を結んだからだとか・・・

なんだそれ・・・

しかも、その国の報道では開発されていない土地を開発して、現地の人を雇うので、雇用も発生するし、土地も開発される。欧米諸国も農地を持っているので、批判される理由がないとも・・・

本当にどうしようもない。企業が農地を借りたり、開発を行うのは問題ない。問題になるのは、「無償」であり「99年」という期間だ。通常の感覚ではありえない。無償で土地を借りるというのは、借りることになるのか?

99年という期間は長すぎないか?

企業が借りて、農地として開拓して生産物を売るのであれば確実に利益が発生する。当然、雇用した人への給料と現地への税金も払う。でも、土地が無償ってことはしないだろう。

小額でも、お金を払えば土地を借りてお金を払って農業していますとなる。無償で土地を提供されるなんて、裏があるとしか思われない。そりゃー、暴動も起こりますよ。結果、政権が転覆して治安が悪化してしまうとはね・・・

他国まで多大な迷惑をかけるなんてね。関わってはいけません。 

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大河ドラマも大変 [日常]

今年の大河ドラマの視聴率が厳しいようで・・・それは、多くの人が予想できたでしょう。主人公が、吉田松陰ではなく「その妹」なわけですから・・・ちと厳しい。

吉田松陰が主人公になったとしても、激動の幕末になる前に、安政の大獄で処刑されてしまうので、そこで話が終わってしまう。それから話を続けるには、今回のようにそれ以外の人を主人公にするしかない。

坂本龍馬や高杉晋作なんかは、すでに沢山作品になっているので、今更感もある。そこで、新しい視点でということなんでしょうね。作品中も、「家族」という部分にクローズアップされている感じを受けるし。

しかし、そこが逆にギャップを感じてしまう。あの時期は、本当に激動に時代で沢山の事が色々変わり、明日の事もわからない状態だったと思うから、安易に家族団らんという感じにもならないと思うのだけど。

それでも、新しい視点という意味ではいいのかも知れない。有名な歴史上の人物を主人公にすればある程度の数字は見込める。でも、それでは・・・・という気持ちもあったのだろう。

そう考えると、作品を作るってことは本当に難しいことだなと関係したことはないけど感じてしまう。 


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